技術士が独立して10年、その後の仕事と生活|一番の収穫は「時間」

こんにちは、ガブです。

「独立したら、毎日どんなふうに働いて、どんなふうに暮らしているんだろう。」

独立を考えはじめたころ、僕はそこがまったく想像できませんでした。仕事は来るのか。お金は持つのか。一人でミスなく回せるのか。不安はいくつも浮かぶのに、その先にある「ふつうの1日」が思い描けない。だから、なかなか決めきれませんでした。

読者

独立には興味があるんです。でも、独立したあとの生活が、まったく想像できなくて……。

ガブ

分かります。僕もそうでした。やってみて初めて「ああ、こんなことだったのか」と思ったことが、たくさんあります。

この記事では、独立して10年ほどたった僕の仕事と暮らしを、つまずいたところも含めて、そのまま書きます。読み終えるころには、独立したあとの1日と1年が、ぼんやりとでも自分の暮らしに重ねて思い浮かぶはずです。そして「独立するかどうか」を、怖さではなく「どんな毎日を送りたいか」で考えられるようになっていると思います。


独立したら、本当に仕事は来る?

独立の直前、一番怖かったこと

会社に辞めると伝えてから、実際に辞めるまでのあいだ。一番怖かったのは、やはり「仕事が来るかどうか」でした。

嫁に独立を話したときに心配されたのも、同じく「仕事が来るのか」です。打ち明けた夜のことは、別の記事に書きました。

関連記事:「会社辞めて独立するわ」と打ち明けた夜。妻の予想外すぎる一言

もうひとつ怖かったのが、お金です。貯金は、ほとんどありませんでした。

それでも、辞めると決められた理由

当時の僕は、会社で構造系のまとめ役のような立場でした。同じレベルで設計できる人が、社内にいなかったんです。会社員時代は、年間約6,000万円の業務を回していました。

円満に辞めれば、その仕事は独立したあとも自分に回ってくるはずだ。そう考えました。嫁もそれを分かっていたので、話はすんなり進みました。

仕事は、会社の看板ではなく、人についていきます。仕事がどこから来たのかは、別の記事にまとめています。

関連記事:建設部門の技術士が独立して仕事を取る3つのルート|営業は1回だけ

実際は、断るくらいに来た

独立してみると、仕事は来ました。しかも、断るくらいに来ました。

断るときは、正直、怖かったです。でも元請けの担当者は「ああ、そうですか。むしろごめんなさい。また次の1本が入ったら連絡しますね」という感じで、あっさりしたものでした。この前も断りましたが、「じゃあ、またよろしく」と言われて、次の業務がちゃんと入ってきています。ここは安心していいところです。

独立1年目は、2,500万円(純利益約800万円)でした。あくまで僕の場合の一例です。

仕事は、心配したほどではありませんでした。ただ、この10年が平らな道だったわけではありません。本当につらかった時期が、2回あります。1回目は、独立した直後。2回目は、仕事がいちばん順調に見えていた年でした。

独立して、一番つらかったのはいつ?

たった一度の営業で、地雷案件を引いた

独立した直後、僕は不安で、元請けのコンサルを何社か営業して回りました。声をかけてくれたのは、1社だけでした。

売上が早く欲しかったので、あまり深く考えずに、相場より安く引き受けました。それが、地雷案件でした。

担当の方からは、夜中までメールと修正の指示が届きます。直すと、また次の修正。数か月の業務で、届いたメールは300通を超えました。あのころの僕は、家族の隣で、死んだような顔をしていたと思います。

営業は、それっきりやめました。このときのことは、こちらにも書いています。

関連記事:建設コンサルで営業をせず10年以上仕事が続いた理由

年商が、初めて4,000万円を超えた年

2回目は、独立して5年目、令和2年度です。年商が、初めて4,000万円を超えました。

仕事は、やればやるだけ売上になります。年々、効率も上がっていきます。だから来た仕事は、なるべく引き受けていました。数字だけ見れば、いちばんうまくいっていた年です。

でも実際は、自分ひとりでは回りませんでした。外注をたくさん使いましたが、いつもの外注先はどこも埋まっています。やむを得ず初めての外注先に頼むと、とにかく質問が多い。答えるための資料を作っているうちに、自分でやったほうが早いと思うほどでした。上がってきた成果品を、さらに自分で直す。時間がなくなって、もっと忙しくなる。

深夜まで作業して、夢の中でも設計をしていました。

仰向けで眠れなかった1週間

その頃から、体が壊れはじめました。

僕は集中すると、画面にめり込むような前のめりの姿勢で、2〜3時間ぶっ通しで作業してしまう癖があります。肩こりは毎日ひどく、ある夜、仰向けになると背中が痛くて眠れなくなりました。1週間ほど、体育座りのまま眠りました。

病院で言われたのは、首のヘルニアでした。マウスを持つ右腕も、ピリピリしびれていました。

強い痛み止めを毎日飲んで、ようやく落ち着いたと思ったら、1〜2か月後に、今度は右手の腱鞘炎と、右肘のテニス肘が一緒に来ました。マウスを持つのもつらく、何日か仕事を休みました。腱鞘炎は、その後の数年のうちに手術も受けています。

「何のために独立したんだろう」

その年の終わりに、自分が納めた成果品を見直しました。いつもより、品質が落ちていると感じました。

外注費を引いてみると、手元に残った額は、年商3,000万円前後の年とほとんど変わりませんでした。

そのとき、ふと思ったんです。何のために独立したんだろう、と。これでは、会社員のころと何も変わっていない。

年商を増やしても、手元はほとんど変わりませんでした。減ったのは、時間と体だけでした。

それで僕は、「年商3,000万円くらいでいい」と決めました。目の前の仕事を見送るのは、最初はやっぱり怖かったです。それでも、そこから仕事を抑えるようにしました。別の記事で書いた「年商3,000万円」は、この年に決めた数字です。あくまで僕の場合の一例です。

関連記事:技術士で独立して年商3000万円|10年続けた現実

何のために独立するのか。その答えを探す手がかりは、会社員のうちの働き方に、もう出ています。独立できる技術者には、会社員のうちから現れる「前兆」があります。無料の小冊子にまとめました。

書いている人

ガブ|建設コンサルの技術者として独立して10年ほど。専門は、橋の補修設計。

  • 社員ゼロ・事務所ゼロ・営業ゼロ
  • 独立10年、年商3,000万円前後で安定
  • 業界歴24年(会社員14年+独立10年)
  • 29歳で国家資格の技術士

では、年商を3,000万円くらいに抑えて、僕の毎日はどう変わったのか。

年商を抑えたら、毎日はどう変わった?

朝8時半〜9時ごろに始めて、夕方5時に終える

仕事場は自宅です。朝8時半〜9時ごろに仕事を始めて、夕方5時には、きっちり終えます。

どうしても忙しいときは夜も働きますが、それは年間で1か月あるかないかです。残業ゼロの年も、何年もありました。休みは暦どおりです。

会社員時代は、夜9〜10時の帰宅がざらで、深夜残業もありました。その頃の様子は、年商3,000万円の記事とこちらに書いています。

関連記事:タイムカードの音を全社に響かせる。定時退社を許さない会社の「陰湿な罠」

会社員時代は朝から夜9〜10時、ときに深夜まで。今は朝8時半〜9時ごろから夕方5時まで

旅行の予定を、先に入れる

旅行には、年に6〜7週間ほど出ています。

ただ、暇だから行くのではありません。先に旅行の計画を立てて、それに合わせて仕事を組んでいます。旅行が先、仕事があとです。

旅行と依頼が重なったら、旅行に行くことは正直に伝えます。締め切りに間に合いそうになければ断りますし、工期に融通がきくなら受けます。旅行中は、重い仕事はしません。軽い仕事なら、します。

1年の波もあります。今は4〜5月に業務がたくさん出て、9月ごろが山場。9〜10月から、また業務が出てきます。それでも、旅行の予定が先です。

12か月の帯に旅行の予定を先に置き、そのすき間に業務を入れる1年の組み方
旅行の時期はイメージ

旅行中の仕事の回し方は、こちらにくわしく書きました。

関連記事:独立すると旅行に行きやすくなる?一人社長の休み方と仕事の回し方

関連記事:独立して家族との時間は増える?出張を6泊7日の家族旅行にした話

お金以外で、一番よかったこと

「独立して、お金以外で一番よかったことは何ですか?」と聞かれたら、僕はこう答えます。

時間ですね。時間。

時間が自由なら、家族と過ごす時間を増やせます。旅行にもたくさん行けます。平日でも、好きなときに休めます。ここが、会社員とまったく違うところです。

僕が独立を決めた一番の理由も、時間がなかったことでした。4,000万円の年にいったん手放しかけたものを、取り戻した。それが、10年の答え合わせです。

関連記事:技術士で独立して年商3000万円|10年続けた現実

一人で働いていると、時間は自由でも、何かあったときに頼れる相手がいないように見えるかもしれません。でも、首を痛めたあの年、僕は元請けの担当者に、正直に伝えました。返ってきたのは、笑い声でした。

一人社長が体を壊したら、仕事はどうなる?

「首が痛いから、現場に行けません」

ヘルニアになったとき、僕は元請けにそう伝えました。担当者は理解してくれて、笑ってくれました。

一人社長でも、ふだんから関係ができていれば、体調が悪いことは正直に伝えれば大丈夫です。

首とは、今もつきあっています。今年は、人生で初めて検査入院もしました。そのときの話は、こちらに書いています。

関連記事:初めての入院で分かった、自由の土台は健康だった

そして、この10年をいちばん近くで見てきたのが、嫁です。

家族は、今の働き方をどう思っている?

会社員のころは、共働きの嫁に家事が偏っていました。

今は、嫁も家族も、とても満足してくれています。毎年、長い旅行に出かけます。ふだんも、家事を手伝える時間が増えました。平日の昼間に、嫁とふらっとカフェに行ったり、人の少ない時間に買い物をしたりもします。

独立を話したとき、「仕事は来るの?」と心配していた嫁です。その嫁の機嫌がいいと、家の中が明るくなります。僕も、仕事がしやすくなります。

時間が増えて一番変わったのは、仕事ではなく、家の空気でした。

では、夕方5時にきっちり終える毎日を、一人でどう回しているのか。4,000万円の年に、一番時間を取られていたのは、外注とのやり取りでした。

夕方5時に終えるには、外注やミスをどう回す?

補修設計はほぼ自分。新設の詳細設計だけ、図面と数量を外へ

あの年に身にしみたのは、外注は、頼む相手と頼む範囲を間違えると、かえって時間を食うということです。

僕の仕事のほとんどは、橋梁補修設計です。補修設計は、計算も図面も、ほぼ全部自分でやります。外に出すのは、専門外の部分だけです。

新設の橋梁詳細設計に限っては、上部工・下部工の図面と数量を外注しています。自分でやると時間がかかるので、そのぶんほかの仕事をしたほうが利益率がいい、という戦略です。

これは、計算も図面も全部外に出してしまう働き方とは違います。自分で完結できる腕があったうえで、時間の使い方として外に出す。その違いは、年商3,000万円の記事に書きました。金額のくわしい話は、単価の記事にまとめています。

関連記事:技術士で独立して年商3000万円|10年続けた現実

関連記事:技術士の外注単価は時給5,000円?見積書7枚で見る単価の決め方

補修設計はほぼ自分、新設の詳細設計の図面と数量は外注、経理・税金は税理士に任せる

外注先とは、「受ける側」の目で付き合う

外注先のチェックの深さは、相手の信頼度で決まります。今は信頼できるところにだけ出しているので、大まかなチェックで済み、だいたい1日かける程度です。

付き合い方のコツは、逆の立場で考えることです。自分が外注を受ける側なら、気持ちよく仕事ができるかどうか。

だから、要求された金額は値切らずに、そのまま払います。手戻りにならないよう、設計条件や資料は分かりやすく伝えて渡します。

大きなミスは、苦手な分野で起きる

人間なので、細かいミスはあります。ただ、たいていは大目に見てもらえますし、元請け側でもチェックしてくれるので、未然に防げます。

怖いのは、大きなミスです。大きなミスをするのは、その分野が得意でないときです。だから僕は、得意な分野しかやりません。

目医者が、歯医者の仕事をできないのと同じです。苦手なのに自分でやると、絶対にミスると思っていい。この10年、資金ショートも、大きな設計ミスもありません。

ちなみに、設計ミスの賠償責任保険には入っていません。もしミスが起きたら、誠心誠意対応するつもりです。まっとうに業務をこなしていて起きたミスは、人間の範囲のこととして許される場面が多い、と僕は考えています。

大手建設コンサルで海外案件を長く担当してきた技術者の方と話したとき、海外の設計契約にも同じ考え方があると教えてもらいました。海外の契約でよく使われる国際的なひな形では、コンサルタントに求めるのは「同じような業務に慣れた技術者が、普通に払う注意で仕事をすること」です。完璧な結果までは保証しません。

ただし、なんでも許されるわけではありません。賠償の上限や、請求できる期間を契約であらかじめ決めておき、その範囲の中で責任を持つという仕組みです。ごまかしや投げやりな仕事は、もちろん対象外です。その方も、独立するなら「どこまでが自分の責任か」を契約の段階ではっきりさせておくのが大事だと話していました。

ただ、独立すると、設計の責任は自分の会社が負うことになります。不安な方は、契約書の条項を読んだうえで、建設コンサルタント向けの賠償責任保険を検討するのも一つの手です。

経理と保険は、税理士に任せる

経理と税金は、税理士に任せています。自分でもできるかもしれませんが、専門外です。任せて、その時間を本業に使っています。

病気やけがに備えて、会社で保険に2〜3本入っています。保険は種類によって、会社の経費にできる範囲が違います。入るときは、税理士に確認するのがおすすめです。

契約は、注文書と「先に伝えておくこと」

元請けとは、注文書・契約書を必ず交わします。こちらから言わなくても、元請け側で必要になるので、必ず出てきます。代金の未払いは一度もありませんし、大幅な値下げを求められたこともありません。

業務の範囲が広がることは、よくあります。補修メニューが増える、といった形です。そのときは契約変更をして、業務の終わりに精算します。

そのために、見積もりの段階で「追加が出たら精算すること」と「やらないこと」を、先に伝えておきます。これだけで、ただ働きはかなり防げます。

注文書を交わしていれば、代金はきちんと入ってきます。ただ、独立した直後は、その最初の入金までが長いんです。

独立した直後のお金は持つ?貯金はいくら要る?

貯金は300〜400万円。それでも足りた

独立したときの個人の貯金は、300〜400万円ほどでした。「全然貯金なかった」というのが本音です。

それでも、生活費の半年分くらいはありました。一人社長なら、それで十分やっていけると思います。逆に、半年分の貯金がない人は、借りたほうがいいです。

気をつけたいのは、最初の入金までの時間です。業務の工期は、短くて1か月、長いと6か月ほど。納品して、請求して、そこから入金です。独立して最初の入金までは、半年くらい空くと見ておいたほうがいいと思います。

独立から受注、工期、納品・請求、入金までの流れ。最初の入金までは個人の貯金でつなぐ

一人社長は、資金ショートしにくい働き方です。会社の現金が少なくなっても、払えない月は自分の給料を未払いにしておく方法があります(僕も税理士に確認しました)。その間は個人の貯金でまかなえばいい。給料を払う相手が、自分しかいないからです。やり方は、会社を作るときに税理士と相談しておくと安心です。

年数がたつと、会社の口座にもお金が積み上がっていくので、入金の時期は後々まったく気にならなくなります。

事務所や人の固定費もありません。決まって出ていくのは、道具と税理士と保険くらいです。事務所がいらない話は年商3,000万円の記事に、道具や税理士の話は手続きの記事に書きます。

関連記事:技術士で独立して年商3000万円|10年続けた現実

お金の面では、一人社長は身軽です。では、一人で働いていて、孤立はしないのか。

一人社長は、孤立しない?

関係は、ふだんの積み重ねで続く

首を痛めたときに担当者が笑って受け止めてくれたのも、ふだんから関係ができていたからです。元請けとの関係で意識しているのは、ふだんのことばかりです。

連絡は早く返す。ただ、技術的な判断は、調べて確かめてから答えます。納期は完璧に守ります。できれば前倒しで納めると、お客さんはめちゃくちゃ喜んでくれます。相手が困っていたら、全力で助けに行きます。お客さんの信用と信頼が、第一です。

ちょっとした心遣いとして、担当者には5,000円くらいの、少し高めのお歳暮を送っています。本当に大事な得意先の社長には、1万円ほどのものも。担当者は会社員なので、こういうのがすごくうれしいらしいです。

関連記事:接待ゼロ。僕が「5000円のお歳暮」だけで100万の仕事を獲る黒い理由

営業はしていません。それでも仕事が続くのは、この積み重ねだと思っています。

関連記事:建設コンサルが営業より先に作るべき「信用」の積み上げ方

仲間は、2〜3人で十分

同業の仲間には、会社員時代からの知り合いも、独立してから知り合った人もいます。でも、本当に仲がいいのは2〜3人だけです。

その2〜3人は、それぞれ僕と違う元請けを取引先に持っています。だから、情報の網がだんだん広がっていきます。基準が改定されたら、仲間うちで最新の情報を教え合っています。元請けの担当者とも気軽に話すので、元請けから教えてもらうこともあります。

一人で働いていても、孤立はしません。

僕を中心に仲間がつながり、その先にそれぞれ別の元請けがある情報網

では、この働き方を、僕はいつまで続けるつもりなのか。

この働き方、何歳まで続けられる?

橋梁補修設計は、健康な限り続ける

橋梁補修設計は、健康な限りずっと続けるつもりです。80歳くらいまでは、やりたいと思っています。

土木は、経験工学と言われます。年を取るほど経験が増えて、技術に深みが出る。かえって有利になることも多い仕事です。50代で独立して、今も忙しくしている知人もいます。

関連記事:「地元に戻りたい」55歳の技術者から受けた、2時間の相談

実は僕も、会社員時代は新設の設計ばかりで、補修設計は2〜3本しかやったことがありませんでした。補修は、独立してから覚えた仕事です。それが今では、300橋近く手がけています。やればやるほど、効率も上がっていきます。

関連記事:技術士で独立して年商3000万円|10年続けた現実

図面を減らして、「考える仕事」へ

ただ、図面を描くのは体に負担がかかります。4,000万円の年に、それは身にしみました。

これからは図面の割合を減らして、技術のアドバイスや顧問のような「考える仕事」に寄せていきたいと思っています。

本業はそのまま、積み上がる収入も

本業の橋梁補修設計は、これまでと変わらず全力で続けています。そのうえで、一度つくると収入が積み上がっていく仕事(ストック型)も、並行して少しずつ育てています。そのひとつが、沖縄でやっている民泊です。

関連記事:建設コンサル一人社長が沖縄で民泊を始めた理由|本業以外の収入源

独立は、そんなに高い壁なの?

迷いの正体は「知らないこと」

独立を迷っている技術者に、僕が一番伝えたいのは、この一言です。

独立は、あなたが思っているより、ハードルは低いんだよ。

迷っている理由の多くは、独立したらどんな仕事や生活になるのかを、実感として知らないだけだと思います。会社員のうちは、自分で経営したら手元にどれくらい残るのかを知る機会もありません。独立したあとの世界を、ただ知らないだけなんです。

やってみれば、「ああ、こんなことだったのか」と思うはずです。僕自身が、そうでした。もしうまくいかなくても戻れる、という話は年商3,000万円の記事に書いています。

関連記事:技術士で独立して年商3000万円|10年続けた現実

もっと早く、独立すればよかった

今振り返ると、もっと早く独立すればよかったと思っています。技術力や人脈を考えれば、あと3〜4年早く、34〜35歳ごろには独立できたはずです。

会社員のうちにやっておいてよかったのは、一つだけ

業務を、ちゃんとこなしていたことです。図面を描く。設計計画を立てる。計算をする。自力で業務を完結できる力を身につけていたこと。これに尽きます。なぜそれが一番大事なのかは、年商3,000万円の記事に書きました。

辞めるなら、半年くらい前から準備して、仕事をやり切ってから辞めるのがおすすめです。辞め方は、別の記事でくわしく書きます。


まとめ:独立して10年、仕事と生活はこうなった

独立して10年ほど。仕事と暮らしを振り返ると、こうなります。

  1. 仕事:一番の不安だったが、断るくらいに来た(会社員時代の仕事ぶりが、そのまま次の仕事になった)
  2. お金:貯金は300〜400万円(生活費の半年分)で足りた。最初の入金までは、半年を見ておく
  3. つらかった時期:独立直後の地雷案件と、年商4,000万円を超えた年。体を壊して、3,000万円前後に戻した
  4. 毎日の仕事:苦手を抱え込まない(得意な分野だけ・外注・税理士)。信頼は、連絡と納期と助け合いで積む
  5. 一番よかったこと:時間。朝8時半〜9時ごろから夕方5時まで働き、旅行は年6〜7週間

この記事の数字は、あくまで僕の場合の一例です。

独立は、あなたが思っているより、ハードルは低いんだよ。僕も、やってみて初めて「ああ、こんなことだったのか」と思いました。そして10年たった今、一番増えたのはお金ではなく、家族と過ごす時間です。

独立したあとの毎日を、自分に重ねてみる

迷いの正体は、独立したあとを知らないこと。僕が独立の前後でやったことを、無料の小冊子『独立前兆』にまとめました。今の立ち位置がわかる「10問の独立診断チェック」も入っています。

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※本記事は2026年10月時点の、僕個人の経験と理解にもとづいています。法律・税金・保険の個別の判断は、弁護士・税理士・社会保険労務士などの専門家にご相談ください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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