こんにちは、ガブです。
技術士を受験する方なら、「技術士受験を応援するページ」はご存じですよね。全国の受験生が、一度は必ず見ているであろう有名なサイトです。
なんとこのページのリンク集に、このブログを掲載していただけたんです。本当にありがたいことです。
(ページ内の「Gabriel Lab」が、このブログです)
僕自身、受験していたころはこのページにいつも助けられていました。
改めて自己紹介すると、僕は橋梁補修設計を専門にしている技術士です。建設部門(土質及び基礎、鋼構造及びコンクリート)と総合技術監理部門の3部門を取得し、会社員を経て独立して10年になります。
そこで今回は、僕が最初に受験したときの話をさせてください。
口頭試験の前の晩、不安でたまらなくなってホテルの下のコンビニでビールを買い足したり、翌朝に試験室の前のイスに座ったとたん、あんなに練習した技術士の「3義務」が頭からきれいに飛んでしまったり。
本番でも技術的な質問で何度も詰まったんですけど、それでも初受験で合格することができたんです。
平成19年の話なので、当時の口頭試験は45分でしたし、今は試験の時間も形式もだいぶ変わっています。でも、あの日に試験室の中で何が起きて、なぜあんなに詰まったのに受かったのかという体験は、今の受験生の方にとっても役に立つところがあるんじゃないかと思って書いてみることにしました。

前夜:不安でビールを追加した夜
試験会場が東京だったので、前日から移動していました。15時に会場を下見して、18時半には近くの居酒屋でビールを2本と日本酒を1杯飲んで、自分では景気づけのつもりだったんです。
ところが、20時にホテルへ戻ってノートを開いてみると、見直せば見直すほど「あの論文の根拠は答えられるだろうか」「ボイリングの原理、ちゃんと言えるかな」と不安の種が次から次へと出てきました。
結局、下のコンビニでビールをもう1本買い、ぬるいままベッドの上で飲みました。21時には勉強を諦めてテレビをつけ、23時半に横になりましたが、なかなか寝付けませんでした。
格好いい受験記にはとても書けないような夜でした。
当日:試験室の前のイスで3義務が頭から飛んだ
翌朝、待合室には30〜50代のスーツ姿の方が10名ほどいて、全員が黙って手元を見ているので、部屋の空気に息が詰まりそうになって一度廊下に出て深呼吸をしました。
開始15分前になって試験室の前のイスに座ったとたん、緊張が一気にピークに達しました。
「あれ、3義務って何だっけ・・・」
何度も声に出して練習したはずの言葉が、きれいに頭から消えていたんです。あわててカバンからメモを引っ張り出して、必死に目で追いました。
ふと向かいのイスの受験生と目が合ったので、「緊張しますね」と小声で話しかけてみたら、向こうもほっとしたようにうなずいてくれました。その笑顔を見て少しだけ肩の力が抜けたところで、試験室のドアが開きました。
試験室の中で
拍子抜けするほど温かい空気
席に着くと、50代くらいの試験官が柔らかい声で言ってくれました。
「どうぞ楽にしてくださいね。昨晩はゆっくり眠れましたか?」
「緊張して、あまり寝付けませんでした」と正直に答えたら、笑ってくれました。初受験だと伝えると「初めてでここまで来られたのはすごいですね」と言ってくれて、会社の技術士の人数を聞かれて「期待されていてプレッシャーなんです」と苦笑いで返したら、お二人とも声を立てて笑ってくれたんです。怖い審問官を想像していたので、拍子抜けするくらい温かい空気でした。
前半は用意どおり。ホワイトボードにも助けられた
受験動機や抱負、経歴、論文発表や特許の有無といったあたりは、事前に用意していた想定問答どおりに話せました。論文も特許も「ないです」と素直に答えたんですけど、それで減点された様子はありませんでした。
経験論文の説明に入ったときには、「後ろのホワイトボードを使っていただいても構いませんよ」と言ってもらえたので、地盤断面の略図をマーカーで描きながら説明しました。
後半は、技術的な突っ込みで何度も詰まった
ところがプレゼンが終わると、もう1人の試験官から技術的な質問が次々と飛んできました。質問の意図を取り違えて見当違いの話を長く続けてしまい、試験官に言い直されてやっと本題に戻ったこともあります。まったく知らない研究事例を教えてもらって、「今後しっかり勉強します」と頭を下げるしかない場面もありました。
いちばん覚えているのは、ボイリングの「原理」を聞かれたときのことです。僕は砂が湧き上がる「現象」を一生懸命説明してしまって、「力学的な原理としてはどうですか?」と聞き返されました。「上向きの浸透力で有効応力がゼロになる状態です」と答え直したんですけど、原理を聞かれているのに現象を答えてしまうという、本当に初歩的なミスでした。
ただ救いだったのは、「現場の協議で困ること」を聞かれたときです。「新技術を提案しても、実績や歩掛かりがないとなかなか採用してもらえないんです」と話すと、試験官の2人が顔を見合わせて「それはどこでも苦労しますよねえ」と深く共感して笑ってくれました。
最後は義務と責務
「では最後に、3義務2責務を挙げてください」
「信用失墜行為の禁止、秘密保持義務、名称表示義務。公益確保の責務と資質向上の責務です」
試験室の前のイスで頭から飛んで、必死にメモを見直したあの項目です。ここだけは間髪を入れずにすらすらと言えました。
帰りの飛行機で、血の気が引いた
ドアを閉めた瞬間にどっと足の力が抜けて、壁に手をついてしまいました。
試験室を出た直後は「雰囲気が良かったし、受かったかもしれないな」と思っていたんです。でも帰りの飛行機で一人になって、ノートにやりとりを書き出していくうちに、だんだん血の気が引いていきました。
原理を聞かれて現象を答えてしまったことや、的外れな回答を延々と続けて試験官に軌道修正されたこと、知らない事例に頭を下げるしかなかったことが次々と思い出されてきて、怖くなってきたんです。
ノートの最後に「これは3月の合格発表まで、ずっとモヤモヤと悩み続けることになりそうだ」と書きました。そのメモのとおり、発表の日まで毎日のように思い出しては胃が痛くなりました。
そして3月。合格者名簿を見に行くと、自分の番号がありました。
初受験で、合格でした。
なぜ、あんなに詰まったのに受かったのか
数年後、「鋼構造及びコンクリート」と「総合技術監理」を同じ年度に併願して、どちらも合格しました。前夜はやっぱりホテルで缶ビールを飲んでいて、「自分はまた同じことやってるな」と苦笑いしました。鋼コンのときはプレゼンの時間がまったくなくて、いきなり質問から始まって面食らったりもしました。
それでも、3回の口頭試験を経験して確信したことがあります。
部門が変わっても、試験官が見ている本質は何も変わらなかったということです。

知識量だけを試すなら、筆記試験の点数だけで合否を決めればいいはずなんですよね。口頭試験で毎回見られていたのは、受験動機やこれまでの経歴を自分の言葉で語れるか、知らないことを知ったかぶりせずに素直に認められるか、そして試験官の指摘をきちんと聞いて柔軟に修正できるか、という姿勢そのものでした。
H19の試験で的外れな回答をしてしまったときも、試験官が「いや、そうじゃなくて・・・」と助け舟を出してくれました。そこで意地を張らずに素直に修正できたことや、知らない事例に「今後勉強します」と素直に頭を下げられたこと。技術的な細かい枝葉では詰まりながらも、受験動機や3義務2責務といった土台の幹がブレなかったからこそ、落とされずに済んだのだと今は思っています。
これから口頭試験を受ける方へ|形式が変わっても通用する5つの教訓
試験の時間や形式が変わったとしても、人が人を見る試験であることに変わりはありません。

- 受験動機・経歴・抱負・義務と責務は、無意識でも口から出てくるまで声に出して練習しておくこと。ここさえ崩れなければ、途中で多少つまずいても十分に取り返せます。
- 質問された言葉どおりに答えること。「原理」を聞かれたら原理を答え、「留意点」を聞かれたら留意点を答える。現象と原理を取り違えないように注意が必要です。
- 分からないときは黙り込まず、素直に聞き直すか「今後しっかり勉強します」と正直に伝えること。ごまかしの姿勢はすぐに試験官に見抜かれます。
- 自分がやってきた業務は、簡単な図にして説明できるように頭に入れておくこと。イメージが頭にあれば、言葉に詰まっても図を描きながら立て直せます。
- 前夜は無理に新しい知識を詰め込もうとしないこと。見直せば見直すほど不安が増すだけなので、しっかり体を休めることのほうがずっと大切です。
合格後の現実と、独立10年で気づいたこと
正直に言うと、僕が最初に技術士を受けようと思った理由は、会社員として給料を上げたかったからでした。決して独立したかったからではありません。
無事に合格して資格手当がつき、管理技術者として大きな業務を任せてもらえるようにはなりました。でも、それだけで人生が一変するようなことはありませんでした。
それから会社を辞めて独立し、今年でちょうど10年になります。実際に独立してみて、よく分かったことがあります。
資格があるから独立できる、というわけではないということです。
名刺に技術士と書いてあれば、たしかに初対面の印象は良くなります。でも、元請けが次も自分に仕事を依頼してくれるかどうかを決めるのは、「期日までにたった一人で図面と計算書をきれいにまとめ上げられるか」であり、「現場でトラブルが起きたときに逃げずに泥臭く対応できるか」なんですよね。
そして、その実務の力をつけてくれたのは、資格という看板そのものよりも、あの過酷な受験勉強の過程でした。
最初に技術士を受験した年は、毎日会社を出て帰宅するのが夜の10時。そこから深夜2時まで机に向かう日々が続きました。なぜその工法を選んだのか、どんな課題をどうやって乗り越えたのかを何度も何度も書き直すうちに、専門知識が血肉になり、「専門の応用能力」とはどういうことなのかを体で覚えることができたんです。
そのときの勉強は、独立したあとの実務でも本当に役に立ちました。いまの僕の設計や技術的な判断の土台は、間違いなくあの夜中の勉強で作られたと思っています。合格したあとも「資質向上の責務」があるおかげで、ずっと学び続ける心地よい緊張感を持てています。
だからこそ、いま技術士試験に向けて勉強している方に伝えたいんです。本気で取り組んだ勉強は、合否の結果に関係なく、そのあとの仕事やエンジニアとしての人生で必ず生きてきます。

あの夜中の勉強が、独立してからの実務でどう効いてきたのかは、『技術士で独立して年商3000万円|10年続けた現実』で詳しく書いています。
そして、いま皆さんが推敲している経験論文の内容は、じつはそのまま独立するための準備にもなっています。
一連の設計業務を一人でまとめ上げられるか。会社の看板ではなく、あなた個人を頼って相談が来ているか。独立してやっていける技術者には、会社員のうちから現れる明確な「前兆」があります。
それを10問の診断チェックにまとめたのが、無料の小冊子『独立前兆』です。合格の先で、会社に残るべきか独立の道を選ぶかを考える材料として、受験勉強の合間の5分で気軽に確かめてみてください。
最後に。受験生だったころに深夜まで何度も読み返していた「技術士受験を応援するページ」に、こうして自分のブログを掲載していただけたことは本当に感慨深いです。管理人の鳥居直也様に、改めて心よりお礼を申し上げます。
