こんにちは、ガブです。
僕は建設コンサルの技術者として独立して10年になります。専門は、橋の補修設計です。
実績としては、
- 社員ゼロ・事務所ゼロ・営業ゼロ・残業ゼロ
- 独立10年、年商3,000万円を安定
- 業界歴24年(会社員14年+独立10年)
- 29歳で国家資格の技術士
という働き方で、平日の昼にボートを出したり、子どもの長期休みに合わせて何週間も旅に出たりしています。
いまは、同じように独立を考えている技術者に向けて、自分の体験を書いています。
スマホの画面の中で、ゴリさんが糸満の市場を歩いている。
ガレッジセールのゴリさんだ。「ゴリ★オキナワ」というYouTubeチャンネルで、地元の市場をぶらぶらと歩きながら紹介している。
画面越しにその風景を眺めながら、ふと思う。
ああ、ここはうちが野菜を買いに行くところだ。
北海道から沖縄の家に来たとき、晩飯の買い出しに行く、いつものあの市場。
→ 関連:別荘を買ったら、収入にもできる
うちが野菜を買いに行くところだ

動画の中では、観光客向けの紹介がテンポよく続いている。画面の向こう側のゴリさんは、市場の活気や珍しい食材を面白おかしく伝えていて、コメント欄にも「沖縄に行ったら寄ってみたいです!」「美味しそうですね」といった声がずらりと並んでいる。
けれど、僕にとってここはもう、「沖縄に行ったら寄ってみたい観光地」ではない。
ただの「生活圏」の風景になっている。
その感覚のズレが、なんだか少し面白かった。
自分が知っているあの場所が、誰かにとっては非日常の観光スポットとして消費されている。でも自分にとっては、ただ大根や葉物野菜を品定めし、今日の献立を考える日常の延長線上にある場所だ。
動画を見ていると、市場のざわめきや、あの独特の匂い、そして沖縄特有のまとわりつくような湿気まで蘇ってくるような気がした。
雪道から、歩いて市場へ
沖縄の家は、字糸満にある。
うまんちゅ市場は、家から歩いて行ける。道の駅いとまん、西崎のあたりだ。
北海道の凍てつくような雪道を、ヒーターを全開にして運転して出勤する日常。路面はツルツルに凍りつき、フロントガラスには雪がこびりつく。一歩外に出れば、肌を刺すような冷たい風が吹きつける。毎朝の雪かきで腰を痛めながら、暗いうちから家を出る。そんな厳しい冬の日常から一転して、沖縄の強い日差しの中、歩いて市場に向かう。
このギャップは、何度味わっても不思議な感覚だ。同じ日本なのに、まるで違う星にワープしたかのような錯覚に陥る。数時間前までダウンジャケットを着込んで震えていたのに、今はTシャツ一枚で買い物かごを提げている。

市場に着くと、入り口に無造作に積んである買い物かごを手に取る。プラスチックの冷たい感触ではなく、どこか温かみのあるかごだ。
中に入ると、とにかく野菜の種類が多い。そして、めちゃくちゃ安い。
普通のスーパーで買うのが馬鹿らしくなるくらい、新鮮な野菜が山のように積まれている。
ゴーヤーやナーベーラーといった沖縄ならではの野菜はもちろん、見慣れたキャベツやトマト、玉ねぎもどっさりとある。農家直売のような雰囲気で、土の匂いが残っているような元気な野菜たちだ。形が不揃いなものもあるが、それがかえって美味しそうに見える。北海道のスーパーで綺麗にパック詰めされた野菜とは違う、野性味のようなものを感じる。
かごの中に、あれもこれもと放り込んでいく。
そして、ここの市場で絶対に外せないのが、ウインナーとベーコンだ。
これがまた、すごく美味い。肉の旨味がぎゅっと詰まっていて、ただフライパンで焼くだけで立派なおかずになる。地元の人が普段使いで買っていくような、飾らないパッケージに入っている。野菜と一緒に、ウインナーとベーコンもかごに入れる。
観光客が珍しいお土産を探してキョロキョロしている横で、自分はただ「今日の晩飯、何にしようかな」と考えながら材料を吟味している。
買い物を終えて、かごを提げて、歩いて字糸満の家へ帰る。
買ってきたばかりの新鮮な野菜をざくざくと切り、ウインナーやベーコンと一緒にフライパンで炒める。ジュージューという音と、食欲をそそる匂いがキッチンに広がる。
特別な料理じゃない。凝った味付けもしない。ただの日常の延長線上にある、普通の晩飯だ。
でも、それがいい。
北海道の自宅でやっていることと、何も変わらない。ただ、場所が沖縄の家になっただけだ。
その「変わらなさ」が、妙に心地いい。観光地に来てまで日常を繰り返していると言われるかもしれないが、自分にとっては、この日常を沖縄に持ち込めること自体が、とてつもない贅沢なのだ。
観光客はお魚センターへ
うまんちゅ市場のすぐ隣、同じ敷地内には、糸満漁協のお魚センターがある。
そこには、色鮮やかな南国の魚の刺身や、香ばしく焼かれたエビ、調理済みの海鮮がたくさん並んでいる。店先からは磯の香りと、醤油の焦げるような香ばしい匂いが漂ってくる。威勢のいい声が飛び交い、いかにも市場という活気にあふれている。
観光客はたいてい、そっちのお魚センターに吸い込まれていく。そこで買った海鮮を、その場で美味しそうに食べている。ビール片手に、沖縄の海産物を満喫する。いかにも観光旅行らしい、楽しげな光景だ。写真を撮ったり、珍しい魚を指差して笑い合ったりしている。
うちの沖縄の家に泊まりに来る、台湾や中国からのお客さんも、よくこのうまんちゅ市場を使っている。
→ 関連:沖縄で民泊を始めた理由
特に隣のお魚センターだ。ロブスターの焼きとか、いろんなシーフードを、みんなここで食べて満喫しているそうだ。
家に泊まっていても、あっち側に行く人は行く。同じ敷地で、使い方が分かれる。
糸満漁協 お魚センター
https://maps.app.goo.gl/Z7XEV34pz1GSx8DUA

向かう場所が違う
自分も昔なら、迷わずそっちに行っていたかもしれない。
ホテルに泊まって、レンタカーで観光地を巡って、市場で海鮮を食べて、「沖縄に来たぞ!」という気分を存分に味わう。数日間の非日常を、全力で消費する。限られた時間の中で、どれだけ沖縄らしさを詰め込めるか、そんなことばかり考えていた。
でも今は違う。
観光客は駐車場に車を停めてお魚センターへ行く。自分は歩いて来て、野菜売り場へ入る。向かう場所が違う。
自分は野菜と肉の入った買い物かごを提げて、そのまま家へと帰る。
同じ敷地にいるのに、見ている景色も、そこにある意味も、まったく違うものになっている。
ホテルの人たちは、あっち側で海鮮を食べて、またホテルへと帰っていく。
家がある自分は、こっち側で野菜を買って、自分の家へと帰る。
ただそれだけのことだけれど、その境界線はとてもはっきりしている。
ホテルに泊まっている限り、どれだけ沖縄に通い詰めても、結局は「お客さん」のままだ。街の表面をなぞって、サービスを受け取って、そして帰っていく。
でも、家を持つということは、その街の裏側に回るということだ。
観光客が知らないスーパーの特売日を知り、ゴミの出し方を覚え、近所の道の混み具合を把握する。
同じ市場に行っても、海鮮丼ではなく、泥のついた大根を買うようになる。
家を持つということは、こういうことなんだと実感する瞬間だ。
ホテルというのは、街の上に「乗っかっている」ものだ。
そこは非日常の空間で、サービスを受ける場所。街の生活とは切り離された、特別な箱だ。
ベッドメイクは誰かがやってくれるし、タオルは毎日新しいものが補充される。快適だけれど、そこには自分の生活の匂いはない。窓から見える景色も、どこかよそよそしい。
でも、家は違う。家は、街の中に「混ざり込んでいる」。
朝起きて、自分でコーヒーを淹れて、ゴミを出して、近所のスーパーや市場に買い物に行って、飯を作って食う。
そこにあるのは、非日常ではなく、ただの日常だ。近所の人の生活音も聞こえるし、風の匂いもダイレクトに感じる。
家を持つということは、街の裏側に回ること
自分の本業は北海道にある。
普段は北海道の会社で働き、雪かきをして、凍結路面を運転して、日々の業務をこなしている。
そして、沖縄の家には、自分が使わない月は他の誰かが泊まっている。
自分がいない間も、その家はそこにあって、誰かの時間を刻んでいる。
自分が北海道で仕事をしている間、沖縄の家では別の家族がリビングでくつろぎ、キッチンで料理をしているかもしれない。
そういう状態が、ただそこにある。
北海道での仕事と生活。沖縄での家と、そこでの日常。そして、自分がいない間の家のあり方。
それは、どれもが自分の生活の一部として、ごく自然に回っている。
民泊の運用がどうとか、利回りがどうとか、そういう小難しい話じゃない。
ただ、自分が過ごすための家があり、使わない時間は誰かに使ってもらう。
特別なことをしているわけじゃない。ただ、そういう状態を作っただけだ。
急いで観光名所を回る必要もない。
この市場がどういう歴史を持っているかとか、そういうガイドブック的な知識も必要ない。
ただ、晩飯の野菜を買いに行く場所。
家を持つということは、観光を生活に変えるということだ。
消費するだけの旅行から、そこに根を下ろす時間へと変わる。
ゴリさんの動画を見ながら、そんなことを考えていた。
画面の中では、相変わらず賑やかな市場の様子が映し出されている。
あの市場で買ったウインナー、また食いたいな。
次に沖縄の家に行くときは、もう少し多めに買って、冷凍庫にストックしておこうか。
そんな、どうでもいい日常の計画を立てながら、動画をそっと閉じた。
最後まで読んでくれて、ありがとう。

