プロフィール

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ガブ | 建設コンサル技術者/独立10年 | 約10分で読めます

独立2年目、タイ・タオ島へ2週間。会社員のカレンダーでは取れない旅でした。

はじめまして。建設コンサルの技術者として独立して10年になる、ガブと申します。

PROFILE

ガブ|建設コンサル技術者/独立10年

  • 建設コンサルの一人社長として、独立10年
  • 社員ゼロ・事務所ゼロ・営業ゼロ・残業ゼロ
  • それでも、年商3,000万円を10年間、安定
  • 業界歴は24年(会社員14年+独立10年)
  • 国家資格は技術士(29歳で取得)
  • 時間・お金・仕事・人間関係に縛られない、ストレスフリーな働き方
  • いまは民泊&コンテンツビジネスでも活動中

いきなりですが、僕の平日の過ごし方を、少しだけ聞いてください。

たとえば、火曜日の午前10時。世間のみんなが会社で働いているその時間に、僕は自分のボートを出して、沖でのんびり釣り糸を垂らしています。信号も交差点もない大海原で、ただぼーっと海を眺める。昔の僕なら「サボってるんじゃないか」と落ち着かなかったはずのこの時間に、いまはもう、罪悪感がまったくありません。

子どもの長期休みに合わせて、1ヶ月くらいかけて、のんびり旅に出ることもあります。名古屋の水族館から、熊野古道、那智の滝、奈良、有馬温泉、姫路へ。3日ではとても足りません。「もう少しいたいな」と思うまで、その土地にとどまっていられる。そんな旅です。

独立5年目の冬には、家族でパラオに行きました。世界中のダイバーが憧れる、あの海です。朝起きたらビーチでシュノーケル、飽きたらプール、午後はぶらぶら街歩き。そんな1日を、何日でも繰り返せる。会社員のままだったら、一生味わえなかった贅沢でしょうね。

・・・と、ここまで読んで、「ただの自慢かよ」「なんかうさんくさいな」と思いましたよね。

正直に言うと、その感覚で大正解です。なぜ僕がわざわざこんな書き方をするのかは、この先でちゃんとお話しします。

僕は普段、北海道の片隅でひっそり仕事をしている、しがない建設コンサルの一人社長です。専門は、橋の設計。29歳で国家資格の技術士を取り、技術者として20年以上、この業界で生きてきました。会社員が14年、独立してから10年。業界歴は、合わせて24年になります。

社員はいません。事務所も借りていません。飛び込み営業もしたことがない。そして、残業もしません。「社員ゼロ・事務所ゼロ・営業ゼロ・残業ゼロ」でやってきました。それでも、独立してからの10年、仕事が途切れたことは一度もありません。

そのうえで、一つだけ正直に言わせてください。

僕は、「あなたも独立して、売上をどんどん伸ばしましょう」みたいなことを言うつもりは、まったくありません。むしろ、売上を青天井に追いかける働き方は、いちばん大切なものを静かに壊していく。自分が痛い目を見てきたから、そう思います。

僕はただ、あなたより少しだけ先に独立して、派手にすっ転んで、それでもなんとか「時間」を取り戻した。そんな「同じ属性の、ちょっと先を歩いてるだけの先輩」です。

もしあなたが、技術には自信がある。でも「独立して、本当に食っていけるのか」が分からなくて、動けない。そんな技術者なら、この先の話は、きっとあなたのためのものになるはずです。少し長くなりますが、よかったら最後まで、お付き合いください。

平日の昼間に海へ出ている、いまの僕からは想像しづらいかもしれません。でも、独立するまでの14年間、僕は絵に描いたような「社畜」でした。

橋を設計する仕事そのものは、好きでした。自分が図面を引いた橋が、何年か経って、本物としてそこに架かっている。完成した橋に手で触れたときのあの感覚は、いまでも忘れられません。

ただ、働き方のほうは、まるでダメでした。夜の8時、9時に帰るのが当たり前。土曜も隔週で出勤。それを「この業界は、こういうものだから」と、ずっと自分に言い聞かせていました。

いちばんしんどかったのは、仕事の量じゃありません。定時で帰ろうとすると、職場の空気がスッと冷たくなる。あの感じでした。やるべきことをきっちり終わらせて、さあ帰ろうと席を立つ。それだけで、周りの視線が背中にチクチク刺さってくる。誰にも迷惑なんてかけていないのに、まるで自分が悪いことをしているような気持ちにさせられる。

有給を取れば「ずいぶん休むね」。家族で海外に行けば「また行くの?やりすぎじゃない?」。何も間違ったことはしていないのに、なぜか責められる。かといって言い返せば、もっと面倒なことになる。だから僕は、ぜんぶ飲み込みました。「サラリーマンなんだから、仕方ないよな」と。

いま思えば、これが、自分の本音を心の奥に沈め始めた最初の一歩でした。言いたいことを飲み込んで、ただ愛想笑いを返すだけ。そうやって僕は、いつのまにか「何も言わない、都合のいい社員」になっていきました。

そんな日々に、決定的な「ズレ」が走ったのは、子どもが生まれてからでした。待ち望んだ子どもでした。仕事も家庭も順調で、小さいけれどこだわりの一軒家も建てたばかり。夜泣きで眠れない朝でさえ、幸せでしかたなかった。あの頃の僕は、完全に有頂天だったと思います。

ところが、子どもの成長とともに、僕たち家族の「前提」そのものが、変わっていきました。詳しいことは、ここには書きません。それは、僕と家族だけの話だからです。ただ、一つだけハッキリしたことがありました。

うちの子には、僕たち夫婦が、これから先もずっと寄り添い、支え続ける必要がある。「子どもを社会に送り出して、夫婦は定年まで会社勤め」という”普通のレール”には、もう乗れないということ。夫婦のどちらかが、いつでもすぐ動ける状態でいないと、家庭が回らない。ところが、当時の僕の働き方は、それとは正反対でした。

足りないのは「愛情」なんかじゃない。「一緒にいられる時間」なんだ、と。

そして、この働き方を続けるかぎり、その時間だけは、どうあがいても手に入らない、と思い知らされました。

03 いちばん肝心なときに、僕は仕事へ「逃げた」

ここからは、正直、僕のいちばん格好悪い話です。家族の前提が変わったあと、僕がどうしたか。・・・あろうことか、前よりもっと、仕事に打ち込むようになりました。

はたから見れば「家族のためにがんばるお父さん」でしょう。でも、違います。はっきり言います。僕は、仕事に逃げ込んだだけでした。皮肉なことに、その頃、仕事だけは絶好調でした。資格も増え、発注者からは指名で相談が舞い込み、役職も上がって、年収は700万円ほどに届いていました。

でも、数字が伸びれば伸びるほど、家の中の景色は、どんどん荒れていったんです。いちばん踏ん張るべき場面で、僕は家族と同じ空気を吸うことから、ずっと逃げ続けていました。あれだけ「会社に逃げる大人にはなりたくない」と偉そうに思っていたくせに、いざとなったら、誰よりも仕事の陰に隠れていたのは、僕自身だったわけです。

ある夜の、台所での出来事。追い詰められた妻に言わせてしまった、一言。そのすぐそばで泣いていた、子どもの顔。そのあたりのいちばん深いところだけは、ブログにはどうしても書ききれなくて・・・メルマガの中でだけ、そっと打ち明けています。

ただ、一つだけ言えるのは、その夜、僕はようやく腹をくくった、ということです。「自分で時間を決められないこの働き方は、もう辞めよう」と。家族を守るには、それしか方法がなかったからです。

04 「お前なら、余裕だよ」という、外側からの一言

とはいえ、腹をくくってからも、最後の最後で、どうしても解けない呪縛が残っていました。「独立なんて、自分にできるのか」技術も経験もある。それでも、この声がいつも、僕の足を止めてくる。

その鍵を外してくれたのは、特別なノウハウでも、高い教材でもありませんでした。大学院の恩師がくれた、「君、技術士を取ったんだから、独立しなさい」という一言。仕事で関わった商社の方の、「君なら、余裕だよ」という言葉。そして決定打は、先に独立していた先輩が、居酒屋でこともなげに放った、この一言でした。

「年収1,000万なんて、余裕でいけるよ」

その瞬間、ずっと外れなかった最後の鍵が、すっと外れました。誰も、僕に特別な力をくれたわけじゃありません。ただ「お前は、もう独立できる側にいるよ」と、外から言葉にしてくれただけ。それだけで、僕は動けました。こうして僕は、38歳で独立しました。

05 独立したのに、僕はまた同じ地獄へ逆戻りした

独立してからは、あっという間でした。飛び込み営業もせず、社員も雇わず、それでも売上はぐんぐん伸びて、一時は年商4,000万円まで届きました。一本の業務で、700万円の見積書を出したこともあります。傍から見れば、まさに絶頂期でしょう。ところが、です。そのとき僕の体は、ボロボロでした。

首も、肘も、手首も、順番に悲鳴を上げて、最後は手術台の上です。仕事は朝から晩まで。気づけば、家族と過ごす時間なんて、ほとんど残っていませんでした。ある夜、妻にこう言われました。

「あんた今日、子どもと一回も喋ってないよ」

ハッとして時計を見たら、夜の10時を回っていました。・・・ぞっとしました。時間を取り戻すために独立したはずなのに、気づけば僕は、会社員の頃とそっくり同じ場所に立っていた。いや、自分で自分を追い込んでいるぶん、もっとタチが悪かったかもしれません。「あれ・・・僕、独立して、いったい何がしたかったんだっけ」と。

06 「年収じゃない、時間なんだ」と気づいて、僕は売上を手放した

ここで、ようやく目が覚めました。僕はずっと、年収という数字ばかり追いかけていた。会社員時代は、資格を増やせば、年収が上がれば、評価されれば報われると信じて。独立してからも、結局、見ていたのは「売上の数字」だけ。でも、その数字が増えれば増えるほど、時間も、健康も、家族との時間も、どんどん減っていきました。

僕たち家族に足りなかったもの。それは、お金じゃなかった。資格でも、年収でもなかった。ただ、一緒にいられる時間。たったそれだけだったんです。

だから僕は、思い切って、年商を4,000万から3,000万へと、自分で「区切り」ました。売上を、あえて手放したんです。業界の常識でいえば「売上が増える=忙しくなる=時間がなくなる」が当たり前。ところが、自分なりの「ものさし」を決めて区切ってみたら、おかしなことが起きました。

時間も、健康も、家族との時間も、ぜんぶ、僕のところに戻ってきたんです。

いまの僕が、平日の昼間にボートで釣りをしていたり、1ヶ月かけて家族と旅に出られたりするのは・・・あのとき、売上を追うのをやめて、「時間」のほうを選んだからなんですよね。

07 僕が成功を測る「ものさし」は、もう売上じゃない

こんな遠回りをしてきたので、僕はもう、成功の「ものさし」を売上には置いていません。いま、自分の成功を測る基準は、たった2つだけです。ひとつは、「自分で自由に動かせる時間」がどれだけあるか。もうひとつは、「子どもの表情」です。

あれほど言葉の出なかったうちの子が、いまでは自分から「お父さん、海行きたい!」と言うようになりました。一緒に海へ行けば、魚を見つけて「魚っ!」とはしゃぐ。旅の帰りの飛行機では、窓の外を指さして「また来ようね」と笑う。その横顔を見るたびに、ああ、独立して本当によかったと、心の底から思います。

子どもを取り巻く状況そのものは、いまも変わっていません。それでも、僕はこう考えています。変えられないものに絶望するんじゃなくて、変えられる「自分の行動」のほうを変えればいい。そうすれば、人生はちゃんと、いい方向へ取り戻せる、と。

(余談ですが、「ガブ」という名前は、18年連れ添った愛猫ガブリエルからもらいました。あの台所の床を見つめていた夜、僕のそばで丸くなっていたのも、あいつです。大天使ガブリエルには「導く者」という意味があるそうで。あいつが僕を支えてくれたように、今度は僕が、誰かをほんの少し導く側になれたら。そんな願いも、この名前に込めています)

08 このまま会社員を続けた「あなた」を、少し想像してみてください

ここまで、ずっと僕の話ばかりしてきました。でも、本当に怖いのは、僕の過去じゃありません。あなたの「未来」のほうです。

もし、あの夜の僕が何も変えずに、そのまま会社員を続けていたら、どうなっていたか。理不尽を理不尽と感じる感覚すら、少しずつ麻痺していく。「サラリーマンだし、仕方ない」が口癖になって、自分の本音を、自分の手で握りつぶすようになる。家族と過ごせる時間は、定年まで会社のカレンダーに握られたまま。そして体力も気力も落ちきってから、ようやく「もう遅い」と独立を諦める。

いちばん怖いのは、長時間労働そのものじゃありません。「これが普通だ」と、自分の感覚がすり減っていくこと。そして、「独立できたかもしれない自分」を、死ぬまで想像し続けることなんですよね。

09 あなたは、どちらの道を歩きたいですか

少しだけ、整理させてください。技術者の前には、大きく2つの道があります。

A

年収という数字を、追い続ける道

資格を増やし、売上を伸ばし、評価を集める。でも気づけば、家族にも自分にも、時間が1ミリも残っていない。・・・これは、10年前までの僕です。

B

自分の「ものさし」で、時間と健康を取り戻す道

売上はあえて区切り、受ける仕事を選び、家族と旅に出る。数字は地味でも、人生が自分の手に戻ってくる。・・・これが、いまの僕です。

どちらが正解、という話ではありません。Aを選ぶ人がいても、僕はまったく否定しません。僕がほんとうに聞きたいのは、あなた自身が、どっちの道を歩きたいのか、です。

10 最後に。僕がこのプロフィールを書いた理由

僕は、「あなたも独立すべきだ」なんて、言うつもりはありません。ただ、かつての僕が、恩師や先輩のたった一言で「自分は独立できる側にいる」と気づけたように・・・今度は僕が、あの頃の僕と同じ場所で立ち止まっている誰かに、自分の「失敗の血肉」から得た判断軸を、渡す側になりたい。ただ、それだけなんです。

正直に打ち明けると、このプロフィールに書いたのは、僕の人生のほんの「目次」にすぎません。命綱もつけずに、谷の上の橋を渡らされた後輩の話。年商4,000万で体を壊した、あの絶頂期の裏側。そして、同僚にも家族にも話したことのない、「台所の床を見つめた夜」の、いちばん深いところ。そういう、ブログには書ききれない話は、僕のメルマガの中だけで、そっとお話ししています。

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ガブ

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ガブ|建設コンサル技術者/独立10年

建設コンサル業界で14年→独立10年の一人社長。専門は橋の設計、29歳で技術士。「社員ゼロ・事務所ゼロ・営業ゼロ・残業ゼロ」で年商3,000万を10年安定。年収より「時間」を選んだ働き方を、同じ属性の先輩として発信中。愛猫ガブリエルと、船と旅をこよなく愛する。